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コメ相場が世界最先端

相場の下落局面でもうけを出す「空売り」。相場の世界では、買い注文のことを“ロング”、空売り注文のことを“ショート”と呼びます。値下がりでの勝負は期日があり、比較的に短い期間で決着が来ることから、空売りをショートと呼ぶことが定着したようです。

空売りに限らず、現物受け渡しが先の期日である取引を総称して「先物取引」と言います。世界で初めて公的な取引所として先物取引を実施したのが、1700年代初頭の大阪の堂島米会所。武士の俸禄(給与)がコメで支給され、小判などの貨幣と同様にコメが経済の基本であった江戸時代、米将軍と呼ばれた8代将軍徳川吉宗の治世に堂島米会所は誕生しました。吉宗に幕府公認のコメ市場を整備することを進言したのが大岡裁きで有名な大岡越前守忠相です。

当時、その年の豊作不作によってコメの価格が大きく変化し、豊作のときほど価格が下がるため、コメを貨幣に替えて生活する武士たちの実質賃金も下がってしまっていました。そこで、コメ相場を安定させようと、その年の秋に支給される俸禄を担保に取引ができ、さらには現在でいう信用取引のように保有する額を証拠金としてその何倍もの規模の取引ができる仕組みが備わった幕府公認の米会所が設立されたのです。

300年前、世界初の先物取引を取り扱う公的取引所であった堂島米会所において、現代にも通ずる先物取引の基本機能がすでに備わっていたようで、シカゴの商品取引所が設立される際、堂島米会所のシステムが参考にされたといわれています。しかし、開設当初から複雑な取引の値決め方法について完全に定め、トラブルがないようにすることは難しかったはず。この点、諸説ありますが、堂島米会所開設を進言したのが大名や大商人だけでなく江戸の町奉行として町のお金に関わるもめ事をつぶさに見て裁いてきた大岡越前守忠相だからこそ、さまざまな取引に関わる“判例”を作っていけたのではないかと考えられています。

最盛期、日本国内のコメ取引の40%以上を手がけていたと言われる堂島米会所。複雑な取引であっても、公正な取引がなされると取引に参加する投資家に信頼されたことで、取引されるボリュームも増え、さらに新たな投資家が参加する図式は、現代も変わらない相場を支えるインフラなのかもしれません。

堂島米会所で始まった公的取引所での先物取引は、その後300年の間に大きな進化を遂げています。先の期日に決済する売買契約を結ぶ「先物取引」にはじまり、その権利(=オプション)自体を売買する「オプション取引」、さらにその権利を交換する「スワップ取引」など、「デリバティブ」(金融派生商品)と総称される新たな取引形態が生み出されました。

日本人の主食といえるコメの先物取引は、昭和初期、コメの安定供給が困難になる中、廃止されましたが、2011年8月に試験上場が開始。試験上場は延長され、本上場への移行に向け取り組みが進められています。